明治初期の室蘭は港の開港や函館から室蘭に至る札幌本道の開通により、移住者が増加し続けたにも関わらず、学校がありませんでした。
しかし、札幌室蘭間鉄道の敷設にも尽力した本多新(ほんだあらた)は、「開拓の基本は教育にある」とし、学校の設立を政府に願いとどけました。このような、運動が実り、明治9年9月、旧札幌通りの民家の2階に広さ20坪で、室蘭最初の学校が誕生します。
創設当時の児童数は20人足らずで、ただ単に「学校」と呼ばれていましたが、のちに校名を「常盤学校」とし、児童は39人に増え、明治11年には常磐町に移転しました。
市内の小中学校は、この「常盤学校」を母体として、分校の開校や独立、統合を繰り返し、現在に至りました。
昭和44年に人口が18万人になったことがありました。戦後、鉄づくりのまちとして、仕事も多く商店街は活気づき、人口も急激に増えていきました。そして、それとともに学校も増え、団塊の世代と呼ばれる人たちが小学生の当時は、教室が足りず1クラスが55人で、一学年が10クラスという頃もありました。
工業都市として栄えてきた室蘭ですが、基幹産業である鉄の溶鉱炉の減少などで、他の都市に転出する人が増えました。
また、人口が減るとともに校舎の老朽化や耐震化のため、平成15年の大和・東園小学校(現海陽小学校)を皮切りに、統合が始まりました。平成30年には白蘭小学校として陣屋、白鳥台、本室蘭の3つの小学校が統合、令和7年からは、白蘭小学校と本室蘭中学校が閉校し、義務教育学校である白蘭小学園が新しく開校しました。
4 小中学校系統図
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